あなたに会えて良かった

子供を育ててきた思い出達。大変なことも嬉しいことも辛かったことも全てを

take a rest

いやー暑すぎ。。。

殺人的です、ほんと。

 

先日、目眩で立っていられなくなり、原因不明ですが、服薬中。。。。

 

別に無理していたつもりもないですが、休息って大切。

 

母親業に休みなどあるはずもないですが、ほっと一息は絶対大事!

 

私は自分のために時間を使うことを罪悪くらいに思っていましたが、決してそんなことなかったなぁって今なら分かる。

 

自分のためだけに時間をほんの少しでも使って、リフレッシュしたら、子供にも少し余裕を持って接することができる。

 

そんなことが分からず、頑張って頑張って。。。。

 

余裕がなかったママで悪かったなぁと思います。

 

必死だっただけなんですけれど。

 

 

 

 

independence

娘が20歳になって。

息子も来年には選挙権を持つ。

子育てもひと段落。

ある人が、「成人したら、全て自分の責任で、親は関係ない!」

本当にそうなのか。

ちゃんと成人と言われる時までに成人として育て上げて言える言葉であり、数字の上で生まれてから、ある程度の年月が経っていても、成人と言えないような振る舞いや、自覚のない人は多いのではないだろうか。

大学生になって、一人暮らしを始めて、親元を離れて、やっと解放!みたいにいう人もいるけれど。

私は、振り返ってみると、子供に恵まれたのならば、子供達と過ごしている期間が、家族として最も華やかで、充実していて、一番良い時の気がする。

だからと言って、引き止める気もないけれど。

親元を離れて、やれやれ。。。とも思わない。

そこまで育ったという安堵感みたいなものはあるけれど。

やっと出て行ったみたいに言う親の元に育ったお子さんは、なんとなくだけれど、結局親元に戻ってくる気がしている。

お子さんが、心の深いところで、潜在意識と言われるようなところで、親との関わりが本当に巣立てるほど充分だと思えていないのではないかなぁと思う。

親と関わることで得られるものは、なかなか代替がないのではないかと。

世間には毒親と言われる人もいるから、それは例外だけれども。

なんとなくだけれど、早く自立?して、親元離れてくれ!と思っているのは、言葉にしなくても、気もそぞろで、それがなんとなく伝わってしまうのではないかなぁと。

育児は大変で、時には色々思うけど、親元にいる期間はほんのわずか。。。

その時間を大切に愛しまないと、親になったらもったいないと私は思うけど。

Self-confidence

日本人は自己肯定感が低いというけれど、それは謙遜が美徳という考え方が古くから日本にはあったせいかなとも思う。

私は、小さい頃は早生まれということもあって身体も小さく、運動神経もなく。

勉強は頑張れば、そこそこ出来るようにはなるけれど。

外見にもすごくコンプレックスがあって。

やっぱり見かけが良い方が得だ!と今でも情け無いことに思う。

なーんにも取り柄がない私。

でも、母になれたということが、私に自信を与えてくれた気がする。

運良く母親になれただけだけど、母親になれた。

不細工で、いい母親でもないけれど。

母と慕ってくれる人々がいる。

その事実が今の私の活力と自信。

たくさんに人々に支えられて、助けられてここまで来たのであって、私1人の力でできたわけじゃない。

でも、できた。

やれた。

私でも。

お母さんにしてくれてありがとうという言葉は時々聞くけれど、私の場合はそういう意味かな。

Time flies

前回書いてから、約一カ月!

書いてないなぁとは思ったけれど、まさか一カ月とは。。。

そして、今日は娘の20歳の誕生日。

生まれてから、成人するまで長いなぁと思っていたのに。

あっという間だった。

我が家は色々あって、あまり可愛い時を楽しめなかったので、勿体無かったなぁと思う日々。

まぁ色々なくても大変だものね。

みんな、同じかな。

で、きっと孫を溺愛する。

自分の子供に出来なかったことを孫で実現するみたいな。

確実に時は流れるから、もう一緒に過ごす時間もそうないかも。

とか言ってたら、お嫁に行かないでずっと家にいたりして(笑)

昨夜12時過ぎて、チューハイ?で乾杯。

どうもお酒は私同様強くはない様子。

まぁ、楽しく嗜んでね〜

Sense of value

地元は桜見物で大騒ぎになるこの季節。

年々激しくなっているようだけれど、なんでだろうか。

今年は、会長のお誘いを受けて、週末の桜まつりのお手伝いに行きました。

最近は、学生さんもボランティアに来てくれています。

今回は抽選会のお手伝いをしたのですが、皆さん、本当にしっかりと頑張って下さいました。

ただ、ボランティアといっても、運営の人達という扱いだし、遊びに来て下さる方はお客様。

その気持ちは忘れないでもらいたいと思いました。

とってもよく頑張ってくれていたし、素早く、手早く仕事ができる。

でも、業務になってしまっているのか、当選した商品を片手で渡す。

何度見ても片手で渡す。。。。

ので、注意しました。

聞こえたのか聞こえてないのか、頷いたけれど、やっぱり片手で渡し続ける。。。

再度注意「両手でね」

あまりに忙しく、その意味を伝えられなかったので、うるさいおばさんだなぁと思っただけだったかもしれないですが。

両手で渡すということは、そこに全ての神経を注いでいるということ。

片手だと、もう片方の手で何かをできるかもしれない。

敢えて、両手で全ての力?を注いでいるという意味と私は考えます。

片手間という言葉があるように、片手でするということは、全力ではないということ。

両手で渡すという行為は、手渡すものがとても大切な物であることや、手渡す相手への気持ちを表す行為と思うのです。

効率だけだったら、ロボットがやってもいいわけで。

気持ちを乗せることで、温かい雰囲気が生まれるわけで。

商品の受け渡し以外のプラスアルファが生まれるわけで。

習慣としてないことだったのだと思うけれど、これを機に身に付けてくれたらなぁと。

親からは言われてなかったのかもしれないし。

うるさいおばちゃんだったけど(笑)

私は、親や親戚以外の大人と子供達が関わることを大切にしてきました。

色んな価値観があることを知るいい機会と思っています。

私は私の価値観で子育てをするしかないけれど、価値観の押し付けは子供達にも出来ないと思ってきました。

色んな価値観の存在を知った上で、自分なりの価値観を持ってほしいと思っています。

だから、ママはこう思う。ママは好きじゃない。ママはね。と言ってきました。

必ず、理由も説明するようにしていました。

そのせいか、子供達もちょっと理屈っぽい気がしますが(笑)

Self-sacrifice?

子供を育てるのは、誰しもが初めて経験すること。

学校では、子供の育て方なんて教えないし。

どうやって育てるか。。。。もちろん、色んな人に相談もするけれど、自分が育てられてきたように育てていくのかなと思います。

友達を見ても、自身が育ったように育ててる。

悪いケースだと、虐待されて育つとそれが普通と思って虐待してしまう。

いわゆるチェーンってやつ。

私の母は、子供を育てることに自分の全てを注いだ人。

なので、それが子育てとしてあるべき姿と思ってきた。

何の疑いもなく自分の事は全て後回し。

ある日、義母から「息子がね、自分の事はせずに子供を優先するんだって褒めてたわよ」と言われて驚いた。

これって当たり前じゃあないんだ。

確かに、義母は誰のことでも自分が優先、やりたくないことは全て「出来ないから」と絶対やらないタイプ。

出来ないんじゃなくて、正確に言うとやりたくない!(笑)

誰かの為に自分が我慢するなんて真っ平ごめんという人。

まぁ確かにやりたくないのに!って当たられても困るし。

私は幼児教室で働いていたので、たくさんのお母さんと出会ってきました。

熱心な方が多く、自分の為に時間を使うのは罪くらいに感じている方も多かったような気がする。

子供はそれを望んでいるか。。。。

もしも「あなたのために、ママは我慢して!」なんて言わなくても思っていたら、子供はどう思うのだろう。

まぁ、私も自分の為に時間を使うことに罪悪感が多少なりともあったように思うので、そういうママ達の気持ちもよく分かるのだけれど。

ママも自身の為に時間を使うことは、子育て中であっても、子育てにとっても、私は大切なことと今は思っています。

今は(笑)

Crossing

私の父は、60代後半に既にアルツハイマーを発症しており、娘が生まれた時は、既に色んなことが分からなく、出来なくなっていました。

娘が生まれた時、母とお見舞いに来てくれて、父に「おめでとう!」と言われた時は、びっくりしました。

母におめでとうと言うように言われたのかなとか。

そのくらい、色んなことが分からなくなっていたのです。

たぶん、この新生児が自分の孫だということは分かっていなかった。

娘が一歳になった頃、私達は東北に引っ越しました。

それを機に、両親は遊びに来てくれたので、奥入瀬まで足を伸ばしてみたことがあります。

娘と父がホテルで遊んでいる所をビデオに写していたのですが、2人のやり取りを見て、

丁度理解力?が同じくらいだなぁと感じたのを思い出します。

娘はどんどん成長し、父はどんどん分からなくなっていく。

今、丁度交差するところ。。。。すれ違っていく。

そんなことを切なく感じていました。

そんな父だったので、母は決して娘を抱っこさせなかった。

でも、帰り道のどこかのパーキング。。。。強者どもが夢の跡。。。の石碑があった所で、写真を撮るのに、何故だったか母は娘を父に抱っこさせたのです。

娘は何故かお手手パチパチ、父も満面の笑みでした。

母はこの写真を見る度に、抱っこさせてあげたら良かったのに。。。と16年経つ今でも言います。

父はその数年後、施設に入るのですが、施設で過ごす他の方のためにも、訪問する時は、子供達に子供らしく飛びっきり可愛い服を着せて連れて行きました。

よその赤ちゃんなのに、険しい顔をしてハイスピードで徘徊している方々も急に笑顔になって、やって来る。

子供の力はすごい。

存在だけで、人を幸せにするパワーがある。

そう私は感じています。

娘は物が分かるようになってきて、感受性の強い子だったこともあり、ある時、

「おじいちゃまをここに置いて帰りたくない!」と号泣したことがあり、それ以来、施設訪問は一人で行くことにしてしまいました。

娘が父と会ったのは、それが最後。。。。

私は子供とお年寄りは共にいることに、お互いにいい作用があると思っています、今でも。

そういう場がもっとある社会になればいいのになと